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ディフェンダー (駆逐艦・2代) : ミニ英和和英辞書
ディフェンダー (駆逐艦・2代)[よ, しろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
駆逐 : [くちく]
  1. (n,vs) extermination 2. expulsion 3. destruction 
駆逐艦 : [くちくかん]
 【名詞】 1. destroyer 
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

ディフェンダー (駆逐艦・2代) : ウィキペディア日本語版
ディフェンダー (駆逐艦・2代)[よ, しろ]

ディフェンダー (HMS Defender, H07) はイギリス海軍駆逐艦D級

==艦歴==
1930年の海軍計画で1931年2月2日に発注、バロー・イン・ファーネスヴィッカース・アームストロング社の造船所で1931年6月22日に起工。1932年4月7日進水。1932年10月31日に竣工し、砲、弾薬、通信設備といった海軍本部が供給するものを除いた建造費用は22万3979ポンドであった。ディフェンダーは最初は地中海の第1駆逐群に配属され、1933年9月から11月にはペルシャ湾紅海に派遣された〔English, pp. 51, 57〕。
1934年9月3日から10月23日まで、中国艦隊の第8(後に第21)駆逐群での活動のための整備を行い、1935年1月に香港に到着。アビシニア危機の際は1935年11月から1936年6月まで紅海で地中海艦隊に加えられており、中国艦隊に戻る一月前には東アフリカの港を訪問した。〔English, p. 57〕
第二次世界大戦が始まるとディフェンダーは地中海艦隊に配属され、1939年9月19日にアレクサンドリアに着いた。ディフェンダーは1940年1月にジブラルタルに移るまで禁制品の取締りに従事した。ポルトガル沿岸の巡回を行った後2月中旬にはフリータウンに移りアフリカ西岸での船団護衛にあたった。4月、ディフェンダーはジブラルタルに戻った。途中軽巡洋艦ネプチューンを護衛し、1940年4月23日にジブラルタルに到着。翌月、地中海艦隊の第10駆逐群に加わった〔。5月12日から17日まで、紅海を通って中東へオーストラリアおよびニュージーランド兵を運ぶUS2船団を護衛〔Rohwer, p. 20〕。
6月27日、ディフェンダーはクレタ島南東沖で駆逐艦デインティアイレクスとともにイタリア潜水艦コンソーレ・ジェネラーレ・リウッツイを沈めた。7月9日、カラブリア沖海戦に参加。7月末、駆逐艦デインティ、ダイアモンドスチュアート、軽巡洋艦カープタウンリヴァプールとともにエジプトからエーゲ海沿岸の港へ向かうAN2船団を護衛〔Rohwer, pp. 30, 32, 34〕。
11月6日、MB8作戦の一部としてエジプトからマルタへ向かうMW3船団とマルタから出発するME3船団の間接護衛を行う地中海艦隊の主力艦を駆逐艦デコイヘイスティハヴォックヘレワードヒーローハイペリオン、アイレクス、ジャーヴィスモホークヌビアンとともに護衛〔Rohwer, pp. 47〕。11月末のカラー作戦ではディフェンダーは他の駆逐艦4隻および防空巡洋艦コヴェントリーとともにアレクサンドリアから出撃し、ジブラルタルから来る船団との合流に向かった。11月26日にマルタ到着後、D部隊の戦艦ラミリーズ、重巡洋艦ベリック、軽巡洋艦ニューカッスルと合流し、ジブラルタルから来るH部隊と合流するため出港した。翌日、イギリス軍の合流後にイタリア艦隊との間でスパルティヴェント岬沖海戦が生起した〔O'Hara, pp. 65–73〕。
1941年1月7日、MC4作戦で防空巡洋艦カルカッタ、駆逐艦ダイアモンドとともにアレクサンドリアからマルタまでMW5船団を護衛した〔Rohwer, p. 55〕。2月9日から3月19日までマルタで修理を行い、3月27日から29日にマタパン岬沖海戦に参加〔。ギリシャからの撤退作戦、デーモン作戦では4月29、30日にクレタ島スダ湾からアレクサンドリアまでGA15船団を護衛。クレタ島の東のカソ海峡通過中の夜にイタリア駆逐艦1隻と水雷艇2隻が船団を攻撃したが護衛部隊により阻止され、損害は出なかった〔O'Hara, pp. 115–16〕。翌月、ディフェンダーはクレタ島からエジプトへの部隊の脱出を援護した〔。
6月10日、ヴィシーフランス側のシリアおよびレバノンへの侵攻作戦(エクスポーター作戦)を支援する海軍部隊への増援としてディフェンダーと第10駆逐群の他の駆逐艦3隻はレバノン沖に到着した。だが、シリア・レバノン沖での活動中にディフェンダーが戦闘に参加することは無かった〔O'Hara, p. 130〕。同月末からディフェンダーはトブルクへ行き来する船団の護衛をはじめ、6月29日に駆逐艦ウォーターヘンがトブルク沖で急降下爆撃機に攻撃により大破するとウォーターヘンを曳航したが、ウォーターヘンは翌日沈没した〔Rohwer, p. 82〕。
1941年7月11日、ディフェンダーは駆逐艦ヴェンデッタとともにトブルクからの帰投途中にあった。夜明け前、沿岸に沿って偵察飛行中であった1機のJu 88爆撃機による攻撃を受けた〔Taghon, p. 261〕。爆弾はディフェンダーの機関室前方の真下で爆発。衝撃により艦後部が破壊され、機関室に浸水したが、乗員や乗艦者に死傷者は出なかった。ディフェンダーには最小限の人員のみが残りヴェンデッタにより曳航されたが〔、ディフェンダーが崩壊し始めたため約5時間後にシディ・バラニ沖でヴェンデッタの砲撃および魚雷1本により沈められた〔〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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